白という安心と、話が横道に逸れて結果的に元のレールに戻らないわし

僕は白い物が好きで、その清潔感から心の安泰を誘う、そんな効果を実感する。白いレースカーテン、白いシーツ、白いバスタオル、白い家具、白い壁、それらが独立してそこに在る時、安心を覚える。調和というのは、忌み嫌う物同士を掛け合わせることで生まれるものではない。空間に位置する物体の色や形、醸し出す雰囲気、それぞれを統一することで、うまい具合にそこには一体感が生まれる。それが、居心地の良さや、摩擦を覚えることの頻度を少なくする要因ともなる。

 

何気なく買ったものが、その空間の一部として、十分に機能するものであれば、それは、買うということに関して言えば、成功である。そして、機能とは別に、その空間に寄り添えるか、という一体感をも孕んでいれば、それはそこに在るべきものとして、置いておくものである。買い物の難しさは、イメージすることの難しさと一致する。

 

置くことで生まれる効果を、事前に脳内でシュミレーションすることで、買った後の悔いを少なくすることができる。しかし、僕なんかもそうだが、イメージはイメージであって、完全なものではないが故に、実際に置いてみたときに、違和感を覚えることは、数知れずある。店舗で見て、触れて、質感を覚えて、いざお家にというプロセスも踏んでも、その空間にあった商品と、自分が暮らす空間とには、差異があるため、こんなはずじゃなかったという感想を受けてしまう。

 

実際に、僕は無印良品の、リビングでもダイニングでも使えるシリーズを購入したが、店舗で見た時のコンパクトさと、うちに置いてみた時の存在感とに、大きな差があった。1LDKという一人、いや同居人と猫が暮らす空間にしても、まだ大きい。一口に1LDKと言えども、部屋の面積に換算すれば、当たり前であるが、アパート毎に差がある。失敗したかなと思いつつ、2年ほど暮らしたが、模様替えをした結果、空間の余白を含めたその配置が、ぴったりとマッチして、前よりも落ち着ける塩梅となった。

 

 

写真?写真ですか?この記事を下書き保存したのは、もうだいぶ前のことなので、写真はありまそん。文章で伝えることの難しさって、そこにあるんですよね。

 

小説もそうですが、僕は文字だけで何かを表現することの難しさと楽しさを、よく思い知ることがあります。語尾の文体が変わりましたが、まあ、気にせず。

 

イメージの想起が容易にできるような、そしてそれ以上に、生々しく、あたかも自分の目の前にそれがある(その出来事を体験している)ような、表現の仕方で、読者の脳内を誘導できるくらいのレベルの高い文章は、僕の憧れです。

 

不思議なことに、文体には個性があって、そこに表情も匂いも空気感も全部内包されています。自信の有無も伺えるし、性格もある程度までは把握できてしまう。心の許容度や、喜怒哀楽、言葉の裏の真意。これが誰一人として同じ人間はいない。これが面白い。

 

僕は特別、文章の書き方を学んだわけでもないし、読書も得意ではありません。国語の成績というか、読解力を図る文章問題ありますよね、あれ、適当に記入してましたからね。でも、文章を書くことは好きだったんですよ。

 

話せば長くなるので、別の機会にでも。

 

終わり時が見つからない。ただいま、夕飯の後のティータイムです。カカオ含有量70%のチョコレートと、UCCのドリップコーヒーと、豆を食べながらのお別れです。また見てくださいね。